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大阪で水彩画一筋

大阪で水彩画一筋

A・wyeth雑感12その絵画2

    アンドリューワイエス雑感その2

  1969年、長くモデルをつとめた老婆クリスチーヌがなくなります。
 それまでにもアンドリューワイエスのモデルは彼の親族を含め、近辺に
 住む多くの人がなっています。しかしクリスチーヌの死後に妻ベッツィーも
 気づかぬうちに若い女性ヘルガとシリのヌードを含め描いた作品が発表
 されたときは世間も驚きました。

  アンドリューの絵画には老婆や黒人等、社会的に目立たない人が
 多かったため意外な感じで迎えられたのです。ヨーロッパの画家たちに
 は私生活が一般の感覚とはかなり違う人が多かったのですが、アンド
 リューワイエスのような私生活も一般庶民と同じと見られていた画家に
 とっては意外な感じがしたのです。

  しかし私の考えでは特別変わったことではないと思います。元来
 絵が好きな人は人物像、(女性時には男性)を必ず描きたがるもので
 あると考えます。幼いときからアンドリューワイエスも西洋古典絵画を
 見て育ったのですから人物像を極めたいと欲求を持っているのは、むしろ
 当たり前のことだと思います。クリスチーヌの死によって一つの課題が
 一段落し、本来持っていた心の欲求に正直に従ったとみるのが妥当です。

  妻のベッツィーが「女性の裸を描きたければ私の気がつかない
 ところで描いて」といったそうです。重石がとれたアンドリューは
 せきを切ったようにヘルガとシリの肉体を描きます。ヘルガがモデル
 の作品は240点に及びます。

  もっともあこがれていた画家レンブラントとデューラー、ボッティ 
 チェルリの画風に似た作品があります。ヘルガの肉体に残された影は
 有名な「レンブラント光」が見て取れます。1972年制作のアメリカ
 インディアンの青年「ノジーシク」の絵はデューラーの自画像にそっくり
 の構成です。

  ボッティチェルリの絵画はアンドリューワイエスの絵画とは縁がない?
 ように見ていました。しかしボッティチェルリの絵画に登場する人物を
 よく見るとその無表情な顔つき、乾いた画面おの感触などワイエスの
 テンペラ画に与えた影響は実際には大きい?ように思います。

  またシリがとるいくつかのポーズはボッティチェルリの名作「春」に
 登場する女神たちのポーズに何となく似ています。

  



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